2011年11月16日水曜日

DRMは邪悪なのか

DRMというのは、「Digital Rights Management」の略で、デジタルコンテンツに対する権利保護技術、ということになっている言葉です。

昔、AppleがiTunes Plusという、「従来より値段が高いけれど高音質で、しかもDRMフリー」を謳い文句にした楽曲配信の新サービス開始にあたり、Jobsが「DRM is evil」と宣った件があるのだけれど、つらつら考えているうちに、Jobsの言っていた意味がわからなくなってきたわけです。

というのは、AppleがDRMフリーにしているのは、iTunes Plusになっている楽曲だけで大半は相変わらず1曲120円DRMつきだったりするし(つまり顧客はDRM有無より価格を選んでいる?)、映像はすべて独自の(しかもiTunesのバージョンアップとともにより堅固になっている)DRMつきで、Apple IDで認証され正規購入したものに限って販売(あるいはレンタル販売)していてApple純正のプレイヤーでしか再生できないし、iBookStoreは購入したことがないからわからないけれど、iBooksにサンプルでついてくる「Winnie the Poo」(くまのプーさん)はApple独自のDRMで暗号化されていて、iBooks以外で開くことはできません。サンプルがDRMつきというのは、DRMフリーな本がiBookStoreに存在するのかどうか、疑問に思う次第です。

あと、Kindle Fireはみんなとても気にしていて、出たら買うぞという勢いの人が大勢いるような気配がネットでも漂っているわけですが、Kindle Storeで買った本はKindleでしか読めないんだけどみんな気にしないのかな、と不思議に思ったりするわけです。KindleはMac版もWindows版もiOS版もAndroid版もあるから困らない、とみんな思うんだろうけれど、紙の本なら自分の本棚の整理は自分でできるんだけれど、Kindleしかなかったら、Amazonが扱わない電子書籍は絶対入手できないという点に疑問は感じないのかな、と。ちなみにKindleはAZWというAmazon独自のファイル形式で(なかみはWebをベースとした、EPUBなどと似たもののようですが)、DRMも独自です。

で、楽天が買収したカナダ(トロント)の会社Koboの端末は、DRMなしのいろいろな文書を入れることができて、特にオープンな電子書籍規格であるEPUBに対応していて、DRMについてはAdobeのDRMに対応しているので、SONY ReaderやNOOKのために買った本や、Google Booksで買った本などの「DRMつきEPUB」も入れて開くことができるから、購入の選択肢が広くていいよね、と思っていたわけです。

ところが、AdobeのDRM(Adobe Digital Experience Protection Technology)とはどんなものかと調べてみたら、まず利用者のAdobe IDを登録して、端末やリーダーは6つまでだけれども登録が必要で、その上で認証がとれたらようやく暗号を解いて内容を表示できるようになる仕組みということがわかって、これはどうなのかと思った次第。

特に、DRM管理ツールであるAdobe Contents Server紹介のページで「System Overview」タブを開くと出てくるをじっくり見ていると、どこのオンライン書店であれ、顧客登録したらAdobeにそれが通知され、購買行動を起こしたこともAdobeに通知され、買った本を開くためにまたAdobeと通信するのが示されているのに気づいて、ということは、電子書籍にまつわる利用者の行動大半がAdobeのクラウドに知らず知らずのうちに蓄積されていくのであって、そんなことオンライン書店しか見てない客は知らんよなぁと思ったわけです。この商品についてのAdobeの主張は「自社製品しか認めないAppleやAmazonのシステムよりもfairだ」ということなんですが、「fairの意味ってなによ」と問い詰めたい衝動におそわれたりしました。

著作権の文脈でfairといえば「fair use」であって、著作権所有者と利用者の間で利害が公平であることを指すのですが、ツタヤのTカードよろしく個人情報集めまくりのプラットフォームを構築したAdobeは、著作権所有者と利用者の間の仲介者としてオンライン書店の裏側に潜んで情報を集めているという意味で、同じくあらゆる購買行動をデータ化しているAmazonと、どっこいどっこいなんじゃないかと思うわけです。むしろショップとして対象が見えているAmazonより陰湿な印象すら感じられてもおかしくはないんじゃないかと。

Amazonが顧客情報を持つ強みを発揮して出版社に対し恫喝まがいの営業をかけたり、取り扱いを制限するような報復行動をとっているという話は、探してみると英語や日本語で結構出てきます。サイトでおすすめされる商品、実は裏で巨額のお金がAmazonに渡ってますとか。日本の出版社と書店の間で動いているお金とはちょっと規模が違いますよ的な。

CD、DVD、紙の書籍といった現物は、著作者の意向がある程度反映されたり利用者も匿名で入手できるし保管も移動も自由にできるわけですが(さらに中古市場もあって、文化的なアーカイブの機能も果たしているのですが)、音楽配信や映像配信、電子書籍ではどうも著作者でもなければ利用者でもない、プラットフォームを握っている側の力があまりにも強すぎるのではないかという考えにだんだん傾いてきました。

特にDRMについては、個人の特定が可能な運用が基本にあって、さらに、現物で可能だった保管や移動の自由が制限される可能性が十分にあります。オンライン書店なくなったら本が読めなくなったとか、端末壊れたらデータが再取得できるかはDRMかけた側の都合次第とか、「せっかく買ったのになんだか理不尽な感じ」のことがいろいろと想定できるのです。「絶版」が、本当の意味で世の中から消えることを意味する可能性が十分にあるということです。中古市場がないわけですから。

まぁ、絶版問題については国会図書館とかにはDRMフリーで納入すべしとか法律かなんかで縛るとか手段はあるのかもしれないんですが、「だったら出さない」とか「たっぷりお金はいただきます」とかの本末転倒な話もありそうで、著作者と利用者おいてけぼりという未来が、なんとなく感じられなくもありません。っていうか、古文書とかが発掘されたとして、まぁ未来はいまのDRMなんか瞬時に外せるのかもしれませんけど、解読不能になったら歴史はどうなるのとか血迷ったりしてしまいました。

古書店に行くと、一般には絶対流通しない、関係者限定の本とか、特定の機関が限られた数だけ配布した本とか、地下活動していた人が配布していた冊子とかが何気なくそこにあって、これもすべて文化だよなぁと思うのですが、未来はどうなるのかなぁ、と。

たぶん、そんなあれこれがあって、海外には独立系の電子書籍サイトがいっぱいあるのかもしれません。入ったことはありませんが、プロプライエタリなDRMなんかはついていないんだろうなぁ、とも。

DRMつきの著作物が流通する意義は認めていますので、それはあっていいのですけれど、できればオープンな仕様で、仲介者のビジネスもクリアな形であれば、なんだか不透明な現状よりは、よほどいいとは思うのです。どうもこう、不況だととにかく中身がおんなじなら安けりゃあとはなんでもいいというところに走りがちではあるのですが。我が身を振り返っても。